大判例

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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)3661号 判決 1980年10月13日

原告

鈴木幸三

原告

鈴木一正

右両名訴訟代理人

坂東司朗

外二名

被告

学校法人東京女子医科大学

右代表者理事

吉岡博人

右訴訟代理人

松井宣

外三名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一被告心研受診前の亡澄子の症状等

<証拠>によると、亡澄子は昭和四三年転倒して左肋骨を打つた頃から、前胸部圧迫感、腹痛等を訴えるようになり、国立東京第二病院、関東中央病院等にて頻繁に診療を受けたが、国立東京第二病院では種々の検査の結果殆んど異常はないと診断され、関東中央病院(昭和四四年一〇月一五日から昭和四九年一一月二〇日まで内科に通院。その間昭和四九年七月一〇日から同年八月一七日までは内科に入院。昭和四九年八月一四日から同年一一月一八日までは精神科へ通院。)内科では、高血圧、房室ブロック(一度)、慢性胃炎との診断で薬物療法により良好な経過をたどり、精神科では神経症との診断で、軽い抗うつ剤と眠剤の投与によつて急速に状態は回復したこと、しかし亡澄子はあい変らず前胸部圧迫感、狭心痛、不眠等種々の症状を訴えていたことが認められ<る>。

二診療契約の締結

1  亡澄子と夫である原告幸三が昭和四九年一一月二八日被告心研を訪れ、亡澄子が同日被告心研の高橋早苗医師の診察を受けたこと、その後亡澄子は被告心研で数次の診察を受けた後、昭和五〇年三月一二日被告心研に入院することになつたことはいずれも当事者間に争いがない。

2  <証拠>によると、亡澄子の被告心研初診時の主訴は前胸部圧迫感と胸苦しさ(狭心痛)であつたこと、亡澄子はその後担当医の判断で、心電図異常の原因を追究するため被告心研に入院する予定の下に通院しつつベットの空くのを待ち、昭和五〇年三月一二日にようやく入院可能となつたため入院の申込手続をしたこと、入院後の担当医である高橋聖之医師は亡澄子の主訴たる前胸部圧迫感、胸苦しさ及び心電図異常の原因を追究しこれに適切な治療をなすため、房室ブロック及び虚血性心疾患の精査をすべく方針を立て、以後諸々の検査を亡澄子に行なつたこと、なお被告心研は機構上は被告病院の付属研究所であつて被告病院の循環器部門を構成するものであることが各認められ<る>。

3     (一) 以上認定事実によれば、昭和四九年一一月二八日亡澄子と被告との間で、亡澄子の前胸部圧迫感、胸苦しさ等を主訴とする疾患を医学的に解明し、これに対し適切な治療行為を行なうことを内容とする診療契約が締結された(同日、亡澄子と被告間で診療契約が締結されたことは当事者間に争いがない。)こと、昭和五〇年三月一二日右診療契約は亡澄子と被告間において、亡澄子の前胸部圧迫感、胸苦しさ及び心電図異常の原因を解明し、これに対し適切な治療行為をなすため房室ブロック及び虚血性心疾患の精査をすべき入院診療契約に変更された(同日、亡澄子と被告間で入院診療契約が締結されたことは当事者間に争いがない。)ことが認められる。

(二) 原告らは原告幸三と被告との間においても診療契約及び入院診療契約が締結されたとの主張するが、かかる事実を認めるに足りる証拠はない。

(三) 又被告は右診療契約及び入院診療契約とも亡澄子の房室ブロックの精査を目的とするものである旨の主張をするが、右のみに限定されるものと解するべきでないこと前認定のとおりである。

三亡澄子の死亡に至る経緯

1  請求原因3(一)の事実及び亡澄子が昭和五〇年五月六日、被告病院精神科で田村敦子医師の診察を受け、うつ病と診断されたこと、同月一二日亡澄子が被告心研を退院したことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  <証拠>によると次の事実が認められる。

(一)  亡澄子は被告心研入院中、心臓についての各種検査を経た結果、第一度房室ブロックではあるが危険な第三度房室ブロックへ移行するおそれはなく、器質的な異常はなく治療も全く必要ないことが判明したが、その後も、手指がふるえる、目のまわりが黒い、夜眠れない、胸がつまるようで息苦しい、動悸がするなど種々の症状を訴え、自分の体の状態の小さなことでも大げさに考え、不安が強いので、亡澄子を担当した高橋聖之医師は亡澄子には器質的病変が認められない以上、精神的疾患が亡澄子の症状の原因ではないかと考え、昭和五〇年五月初旬頃被告病院精神科を受診してみるように亡澄子及び原告幸三に伝え、同月六日精神科宛の「依頼状」を発行した、

(二)  昭和五〇年五月六日の被告病院精神科での診察では、亡澄子は原告幸三と同道したこともあつてか、田村医師の質問に対し割合に落ち着いて応答し、不眠の外、舌の先、口のまわりにボツボツが出る等、自分には何か陰の病気があるのではないかとの不安を訴えていた。田村医師の「死にたいと思うこともあるか。」との質問に対しては「それもある。」と答えているが、同人の主要な関心事は自分には陰の病気があつてそれに対する不安が強い、いわゆる心気的不安にあり自殺念慮は現症状としては差し迫つたものとは認められなかつたので、田村医師は亡澄子はうつ病に罹患しているがとりあえずは心気的不安と不眠に対する治療として安定剤を投与し、一週間後に来院させてその経過を見ることで足り、その時点で直ちに入院をさせて治療する程度ではなくその必要もないと判断し、原告幸三に一週間分の薬を渡すと共に、亡澄子及び原告幸三に一週間後に再び来院するように告げ、被告心研高橋聖之医師宛、亡澄子に対する診断(うつ病、不眠、心気的体重減少)、投薬(安定剤)を記載し、更に「通院させて下さい。」との記載をした「返信」を発行した。

(三)  被告心研は田村医師からの右返信を受け取つた後、被告心研所属の医師で構成される症例検討会で検討の結果、亡澄子には器質的病変はなくこれ以上被告心研に入院して治療する必要はないので、被告心研を退院させ、前記精神科田村医師の診断に依拠して以後は被告病院精神科へ通院して治療を受けさせれば足りるとの結論を得、昭和五〇年五月一〇日頃高橋聖之医師から亡澄子及び原告幸三に被告心研を退院するよう告げた。

(四)  原告幸三は、亡澄子が被告病院精神科で初診を受けた際田村医師から次回の来院日として指示された昭和五〇年五月一三日、亡澄子を伴わず単身被告病院精神科を訪れ、石川陽子医師と面会し、亡澄子は来院することを拒否していて連れてくることができないこと、又亡澄子は食事もとらず、取り越し苦労ばかりして、眼をギョロギョロさせている旨述べた。これに対し石川医師は二日分の安定剤を原告幸三へ渡すと共に、二日後には亡澄子を連れてくるように指示した。ところが同月一五日には再び原告幸三のみが来院し、亡澄子の症状を伝えるのみで、その後の同月一七日、二三日、二七日においても同様であつた。なお石川医師は同月一七日からは安定剤に加えて軽い抗うつ剤も亡澄子宛処方し、同月二七日には、亡澄子を診察するためには原告幸三のみの来院では仕方がないので、亡澄子を被告病院精神科へ入院させる外ないと判断し、同日原告幸三の承諾を得て入院手続をとつた。

(五)  亡澄子の容態は昭和五〇年五月二九日頃からやや快方へ向かつたように原告幸三には思われたので、同月三一日原告幸三、同一正とも家を留守にし亡澄子のみにしておいたところ、同日午後〇時三〇分頃、同女は自宅二階鴨居に帯を結びつけて輪をつくり、これに頸部を差し入れて縊死した。

四被告の債務不履行責任について

1  亡澄子と被告間の(入院)診療契約は亡澄子の前胸部圧迫感、胸苦しさ及び心電図異常の原因を解明し、これに対し適切な治療行為をなすことにあり、そのため房室ブロック及び虚血性心疾患の精査をした結果、亡澄子には当初の治療目的である心臓について器質的異常はなく治療の必要性のないことが判明したが、亡澄子の主訴の原因は精神疾患にあることが疑われたのであるから、これについての原因の解明と治療は当初の心臓についての治療の一環として関連した範囲内のものというべきであるから、被告としては亡澄子との(入院)診療契約の内容として以後更に亡澄子の精神疾患を医学的に解明し、これに対し適切な治療を行ないその症状と態容によつては亡澄子を被告精神科と連絡をとりあつて被告心研に引き続き入院させておく等の手段を講ずるべき債務を負つたものと解される。

2 ところで、<証拠>によれば、うつ病患者は増悪しかけたときと少し軽快したときに自殺念慮が生ずることが多く、特に既往に自殺企図のあつた者には自殺に対する注意を怠つてはならず、外来治療も可能であるが入院治療の方が治療成績はよいとされていること、一方うつ病患者がすべて常に自殺念慮を有しているわけではなく、その程度、時期も種々であること、被告病院精神科で初診を受ける年間約一、〇〇〇人の患者のうち六〇〇人前後はうつ病患者であるが、初診時直ちに入院治療を要すると診断される者は非常に少なく、その基準は担当医の診察の結果、病識が本人に全くなく、不安、焦躁の強い者、何度も自殺を企てたことのある者、あるいは身体が衰弱しており輸液等を必要とする者などであつて、昭和三五年頃から薬物療法が普及し、抗うつ剤等の投薬をしその効果をみつつ通院により治療することで足りる初診の患者も数多いことが認められるところ、亡澄子が被告病院精神科において田村医師の初診を受けた昭和五〇年五月六日の症状は三2(二)において認定したとおりであつて、格別うつ病の症状として重篤であつたとかあるいは亡澄子が過去自殺を計つたことがあるなどの事実も存しないのであるから、田村医師が亡澄子はまずは安定剤の投与によりその効果をみつつ通院治療することで足りると判断したことにつき、責められるべき点は存しない。

なお、被告心研の症例検討会において、田村医師の亡澄子はうつ病であつて通院治療で足りる旨の通知(返信)を受けとり、以後は亡澄子を被告心研から退院させて、被告病院精神科へ通院させて治療を行なう旨決定し、担当医である高橋聖之医師から亡澄子及び原告幸三に被告心研を退院するように指示し、昭和五〇年五月一二日同女を被告心研から退院させたことについても、田村医師の初診時から五月一二日の退院時までに亡澄子の症状に入院を必要とする格別の変化があつたとは認められないこと前認定のとおりである(原告幸三本人尋問の結果中には亡澄子は精神科受診後症状が急激に悪化し狂乱状態になつた旨の供述部分が存するが、右のことは被告の医師には知らしていないことであり、その他亡澄子を直ちに入院させる必要があつたとの供述は措信できない。)以上、担当医師らの措置には責めらるべき点は存しないものといわざるを得ない。

3  被告病院精神科の田村医師あるいは被告心研の高橋聖之医師が、亡澄子の精神科初診時あるいは被告心研退院時に原告幸三に対し、うつ病患者の抱く自殺念慮とその自殺の危険性について説明、指導したと認めるに足りる証拠はない(証人田村敦子及び同広江道昭の各証言中には、原告幸三にうつ病に関して田村医師あるいは主治医から説明をした旨の部分が存するが、右証言をもつてうつ病患者の抱く自殺念慮とその自殺の危険性についてまでも説明、指導したものとは認められず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。)が、医師は患者に対し当面診断した症状に対し適切な治療、指導をすべきであり、症状の推移に従つてその時点で適切な治療を施すのであるから、前認定のとおり、田村医師は亡澄子の外夫である原告幸三に対しても一週間後に亡澄子を来院させるよう指導し、一週間分の薬を処方し、その後も石川陽子医師は再三再四原告幸三に亡澄子を来院させるよう指導すると共に、昭和五〇年五月二七日には被告病院精神科へ亡澄子を入院させるべく手続をとつていることからも、担当医らのとつた措置は各時点でいずれも適切であつたというべきであり、被告に債務不履行の責を問うことはできない。

五結論<省略>

(岡田潤 並木茂 高林龍)

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